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2011.
04.
03
本日GOLD'S GYM EAST TOKYOにてトレーニングをおこなう前、江東区でも今まで足を踏み入れることのなかった清澄白河地区を散策しました。
今回は結構ボリュームがあるので、数回に分けて紹介します。
最初に訪れたのは「森下文化センター(田河水泡・のらくろ館)」で、名前の通り漫画「のらくろ」にちなんだスポットです。

その作者、田河水泡は、幼年期から青年期までを江東区で過ごし、平成10(1998)年ご家族から作品や書斎机などの遺品が江東区に寄贈され、この地に「田河水泡・のらくろ館」が開設されたとのことです。
「のらくろ」とは昭和6(1931)~16(1941)年まで、講談社「少年倶楽部」に連載された田河水泡の代表作です。

主人公の「のらくろ」は、小さな雑種のしかも天涯孤独の野良犬で、その境遇にもめげず、明るく、楽しく、元気よく活躍し、その当時日本で大ブレイクしたそうです。
猛犬連隊の二等卒からはじまった「のらくろ」は、一等卒、上等兵、伍長と昇進し、ついに大尉にまでなりました。
戦後、月刊誌「丸」に連載された「のらくろ」では、喫茶店のマスターとなりあこがれの「お銀ちゃん」と結婚してハッピーエンド、というストーリーです。
私はあまり「のらくろ」に想い出がないのですが、今回見学して「のらくろ」が日本の漫画のルーツであることがよくわかりました。
また日本を代表する多くの漫画家(手塚治虫、藤子不二雄、さいとうたかを、等)がここを訪れていたことにはビックリしました。

まさしく「日本漫画界の聖地」といった感じです。
今回は結構ボリュームがあるので、数回に分けて紹介します。
最初に訪れたのは「森下文化センター(田河水泡・のらくろ館)」で、名前の通り漫画「のらくろ」にちなんだスポットです。

その作者、田河水泡は、幼年期から青年期までを江東区で過ごし、平成10(1998)年ご家族から作品や書斎机などの遺品が江東区に寄贈され、この地に「田河水泡・のらくろ館」が開設されたとのことです。
「のらくろ」とは昭和6(1931)~16(1941)年まで、講談社「少年倶楽部」に連載された田河水泡の代表作です。

主人公の「のらくろ」は、小さな雑種のしかも天涯孤独の野良犬で、その境遇にもめげず、明るく、楽しく、元気よく活躍し、その当時日本で大ブレイクしたそうです。
猛犬連隊の二等卒からはじまった「のらくろ」は、一等卒、上等兵、伍長と昇進し、ついに大尉にまでなりました。
戦後、月刊誌「丸」に連載された「のらくろ」では、喫茶店のマスターとなりあこがれの「お銀ちゃん」と結婚してハッピーエンド、というストーリーです。
私はあまり「のらくろ」に想い出がないのですが、今回見学して「のらくろ」が日本の漫画のルーツであることがよくわかりました。
また日本を代表する多くの漫画家(手塚治虫、藤子不二雄、さいとうたかを、等)がここを訪れていたことにはビックリしました。

まさしく「日本漫画界の聖地」といった感じです。
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