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2011.
05.
08
トレーニングに行く前、その途中にある「中川船番所資料館」を見学しました。
中川船番所とは海運の関所のようなもので、寛文元(1661)年に、江戸を出入りする船を取り締まるために小名木川の隅田川口に置かれていた「深川口人改之御番所」が、中川・小名木川・船堀川の交差する中川口に移転し「中川番所」となりました。
中川番所があった場所については現在の江東区大島9丁目1番地と推定されていましたが、平成7(1995)年の発掘調査において柱材や礎石などが出土したことにより、中川番所跡であることがほぼ確定したとのことです。
中川船番所資料館は、この番所跡地より北に50メートルほど離れた場所に建てられています。
3階には常設・企画展示室として中川番所が再現され、当時の雰囲気がよくわかりました。

2階は江東区の歴史、文化を紹介していて、特に江東区は埋め立てられてどんどん土地を増やしていき、江戸時代と比べると面積が約4倍になっていることには驚きです。大阪で言えば此花区、港区、住之江区のような感じでしょうか!?

中川船番所資料館の正面は旧中川が流れ、川岸はきれいに整備されているのでとても気持ちよかったです。

新しいリフレッシュできる場所をまた発見することができましたね。
中川船番所とは海運の関所のようなもので、寛文元(1661)年に、江戸を出入りする船を取り締まるために小名木川の隅田川口に置かれていた「深川口人改之御番所」が、中川・小名木川・船堀川の交差する中川口に移転し「中川番所」となりました。
中川番所があった場所については現在の江東区大島9丁目1番地と推定されていましたが、平成7(1995)年の発掘調査において柱材や礎石などが出土したことにより、中川番所跡であることがほぼ確定したとのことです。
中川船番所資料館は、この番所跡地より北に50メートルほど離れた場所に建てられています。
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2階は江東区の歴史、文化を紹介していて、特に江東区は埋め立てられてどんどん土地を増やしていき、江戸時代と比べると面積が約4倍になっていることには驚きです。大阪で言えば此花区、港区、住之江区のような感じでしょうか!?

中川船番所資料館の正面は旧中川が流れ、川岸はきれいに整備されているのでとても気持ちよかったです。

新しいリフレッシュできる場所をまた発見することができましたね。
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