本日夕方から、高校時代の3年間私にラグビーを教えて頂いた先生が今年の3月31日で定年退職になられましたので、それを記念してパーティーが行われ私も参加しました。

主催はラグビー部OBの面々でほとんどラグビー部関係のメンバーでしたので、久しぶりに多くの同期、先輩、後輩と会うことができ、非常に有意義な1日でした。
恩師は旧6学区の高校を卒業後、東京の国立大学に進学。その大学を卒業と同時に私の母校に赴任しラグビーを指導した。
赴任当初は15人集めるのに疾駆八苦したそうだが徐々に実力をつけ、しばしば大阪予選の準決勝まで進出した。
そこからなかなか準決勝の壁が破れなかったが、1983年ついにその壁をやぶり決勝戦へ進出。その決勝戦も終了間際の劇的な大逆転トライで見事勝利し全国大会初出場を決めた。
全国大会初戦はいきなりシード校と対戦したが、前半は互角のスコアながら後半突き放され無念の初戦敗退。
次の年も全国大会に出場しBシードに選出されるが、初戦は奇しくも大阪勢同士の戦いとなり10-10の引き分け、抽選で次回出場権を失うという悔しい結果でした。
私が3年生時は念願の重量FWを作り上げ、3度目の全国大会出場を目指し大阪府予選はBシード校として登場。当然決勝戦まで進出し、Aシードの北野高(当時橋下大阪府知事が所属)と全国大会の出場権を争うはずだったが、その前の準決勝で1点差の敗退(ちなみにこのときの敗戦が私の人生の中で最も悔いの残る出来事である)。
また恩師は高校日本代表のBKコーチを勤めていた関係上そこでのトレーニング方法を高校へ持ち帰り、私達に対し熱心に指導されていましたので非常にレベルの高いコーチングを受けていたと思います。
しかし夏の合宿はきつかったなぁ〜。練習でしぼられにしぼられたあとに飲んだ湧き水が、30数年間生きてきた中で最もおいしい食べ物飲み物です。
宴も終盤に近づき、恩師へ記念品の贈呈を行い、

その中には高校時代と同じデザインのジャージーが贈られ、

非常に懐かしく感じました。
最後に150名以上の人垣を作り、その中を通って恩師を送った際、私の前で恩師が立ち止まりガッチリ握手して頂き、「よくがんばったな」と声をかけられた時は思わず目頭が熱くなりました。
現在母校のラグビー部員は5人だけだそうですが、何とか15人までメンバーを増やして公式戦に参加して欲しいものです。
蛇足:↓この人は........。
